着眼大局 意志疎通”横から視線”

なでしこジャパンの佐々木監督の指導力を分析してみると
”着眼大局 意志疎通 横から視線”で表すことができるのではと思った。

テレビで見てもわかるとおり、欧米と日本とでは体格がまるで違う。
平均身長が10センチ以上下回ることが少なくない。
したがって、高さやパワーでは一歩も二歩も劣ってしまう。
一方、日本人は、ボールの扱いが器用で、小回りが効いて
チームワークをよいという伝統的な特性がある。
そして、力に上回るに相手を負かすには、敵の強みを把握し、自分の強みを生かして勝つ戦術が必要となる。
それが今回※女バルサと賞賛され、パスサッカー&ポゼッションサッカーというチーム戦術である。
細かいパスを横縦に積み重ね、相手がボールを支配すると多くのリソースを割き、プレスを素早くかけて
ボールを奪取し、ボール支配率で圧倒していくという戦法だ。

一方で、その戦術を実行する主体である選手とどのようなスタイルでコミュニケーションをとっていたのか?
それが一言でいうと、”上から視線ならぬ、横から視線”だという。
選手が力を発揮させることを後方支援するようなコミュニケーションを貫いているような、
優勝のインタビューで、報道陣から「監督の素晴らしいところは?」と聞かれたある選手は、「別に、おやじギャクを連発するところかなぁ」と返していた。
そして、結果として創り上げたのがチームの戦術の土台の上に、個々の選手の主体的な個人戦術が機能するという、チーム力と個の力の発揮が融合された姿だ。
その象徴と思ったのが、決勝戦の2点目の澤選手の芸術的ゴールである。
このゴールは、コーナーキックの直前、宮間選手と澤選手の、「ニアに行くよ」即興の合意と阿吽の呼吸で生まれたゴールという。
いろいろ賛否両論あるかも知れないが、佐々木的リーダーシップスタイルの秘密は今の時代、今の若者の気質のあった、着眼大局 意思疎通”横から視線”
になるのでは、密かに思った。

2011年7月25日 カテゴリー:リーダー論 | No Comments »

祝優勝 なでしこジャパンワールドカップ観戦記

深夜に起き、なでしこジャパンをライブで観戦した。
結果的には無理して起きた甲斐があったと本当に思う。
今回は、相手がなんせ世界ランキング1位でアメリカということで。なでしこもさすがにかなり苦戦だった試合経過だ。
スウェーデン戦でみせた、女バルサとさえ言われた華麗なパスサッカーは、
今回、あまりみることができなかった
特に彼女らの縦パスは女巨人のアメリカ選手の高さにことごとく封じられました。
それどころか、アメリカのパワーとスピードになでしこのデフェンスラインは
なんども突破され、一歩間違えば一方的に負けていてもおかしくない試合だった。
それでも、天は彼女らを見捨てずに最後には勝利の果実をもぎ取った。
耐えに耐えて点を取られても追いつき、最後のPK戦では神がかり的にPKを止めて勝利を収めていく姿は日本中に勇気を与えたのではないだろうか?
強いところが必ず勝つのではなく、勝ちたい思いの強い方が勝つということがひしひしと伝わてきた試合でした。、
それにしてもあのアメリカのスピードとパワーはびっくりさせられた
身長181センチのワンバク選手などはまるで女性ガリバーのような体格だ。
男子の試合にでてもパワーでは負けなさそうな・・・・
そういう超競合を相手にして、サッカー史上でも年齢制限なしのW杯で欧米以外で初めての優勝だ。超快挙だと思う。
男子では、アジアのチームが決勝に進出することが快挙になるという時代に突然行った女子の偉業。
そして、ネット検索をして知ったのですが、今や日本のヒロインになったナデシコですが、今までほとんどの選手は赤貧といえるほど経済的に厳しい待遇だったようだ。
一部海外のチームで活躍している人もいるが大半の選手は国内のなでしこリーグで厳しい環境で練習を積み重ねてきたそうな、
日中の練習は許されない、給料も安い、またはパートや農業で生活の糧を得ているという環境で耐え忍んでつかんだ世界一とのこと。

その苦労を想像して今日の晴れ舞台を見ると改めて、彼女らへの尊敬の念と感動が増幅される。
普段は、エコノミークラスで移動している彼女たちとのことだが
凱旋帰国の飛行機ぐらいはビジネスクラスどころかチャーター機を用意して上げてくださいと思う。

2011年7月18日 カテゴリー:未分類 | No Comments »

物事は順番が大事

何事も物事を進めるには順番があるのだと思う。

スキルアップを図りたいならスキルレベルに応じて課題が変わってくると思う
初級者には初級者が習得するべきことがある
中級者には中級者の段階で習得すべきことがある
そして中級者のレベルを超えたときに初めて上級者の課題に取組むべきだと思う
いきなり初級者が上級者の課題に取り組んだら躓くだけと思う

人間の成長も同様だと思う。
まずは幼少時に最小限の社会性を身につけることが大事と思う
青少年の段階では、自分の特長を見出すことが大事だと思う
社会にでたら、社会性と自分の特長を活かして自立することが大事だと思う
一定以上の立場と力量を備えたら、それをもとに社会に還元することが大事だと思う。

その順番を間違えたり横道に逸れるとちぐはぐな人生になるとおもう。

会社組織もそれぞれの発展段階で克服すべき要点が変わってくると思う
会社で言えば、まず商売そのものに特長があるか否か、そして儲かるのか?
次に、商売を生み出す仕事の流れが整備されているか否か
次に、組織の運営がスムーズになっているか否か
次に 人が育っていく仕組みができているのかどうか?
それらの段階を経て組織が健全に発展できるような精神的な支柱の明確化が必要になってくる
精神的の支柱の構築が先にありきではないと思う。
精神的支柱は会社の成長とともに育てていくものだと思う。

物事は実行していく順番が極めて大事だと思う。

2011年7月12日 カテゴリー:経営 | No Comments »

心の太陽を持て

NHK朝ドラ、おひさまで、主人公 陽子の長兄 春樹戦死の知らせが届く。
若き日の思い出で、春樹が陽子の朗読した詩が印象的だった。

心に太陽を持て

心に太陽を持て。
あらしが ふこうと、
ふぶきが こようと、
天には黒くも、
地には争いが絶えなかろうと、
いつも、心に太陽を持て。

くちびるに歌を持て、
軽く、ほがらかに。
自分のつとめ、
自分のくらしに、
よしや苦労が絶えなかろうと、
いつも、くちびるに歌を持て。

苦しんでいる人、
なやんでいる人には、
こう、はげましてやろう。
「勇気を失うな。
くちびるに歌を持て。
心に太陽を持て。

引用:山本有三「心に太陽を持て」(新潮文庫)

2011年6月27日 カテゴリー:未分類 | No Comments »

失注案件から学ぶ

先日、受注見込み度が高い案件と営業から報告されていたお客様から「他社の決めました」という連絡を頂戴した。

営業担当者は、その見込み先へ多大な労力を費やしていた。
、何度も見積対応、提案対応を行い、感触的にはかなり好感を得ていたので、その返答にがっかりし、落ち込んでしまう。
そして、いろいろ失注理由を推測するのだが、本当のところは分からない。

そこで、社長の私のほうから、その失注先に直接電話をかけて本当の理由を聞きだそうということになった。
先方へは
「今後改善の参考にさせて頂きたいので、当社の至らない点をお聞かせ頂きたい」というスタンスをヒアリングを行った。
最初はおそるおそるだったが、いずれのクライアントも、見積などで手間を掛けて断ったという面もあるのでおおむね協力的であった。
その理由を営業マンにフィードバックすると、彼は人一倍、目標意識と責任感の高い人間だけに、重要な気付きを得るようになった。

電話聞き取りから得た教訓には以下のようないくつかのものが上がった。
●商品の特長は詳しく説明しているのに、その事例や実績の説明が薄かった
●セールスポイントについて本当に熱意をもって伝えていなかった
●見積り価格体系が、クライアントの要望する体系とずれているのにそれで押し通していた
など

失敗からは目を背けたいのが人間の心理である。
しかし、失敗は気付きと学びの宝庫だと思う。

よく営業のコンサルタントは商談の勝敗分析ということはいうが、その方法論が明確になっていないまたは有効な方法に落とし込まれていないのというケースが身請けたる。
本人でない人間が(それも上司や社長が)、失注先へ直接電話を掛けて、腰を低くして失注理由を聞くのは、営業改善だけでなく、もっと重要な手がかりも得られる場合もある。
当社の商品の価格体系、特長づけの方向性、お客様のニーズなど・・・

営業の商談失注分析は社長の経営課題を学ぶ題材の宝庫でもあると思った。

2011年6月24日 カテゴリー:未分類 | No Comments »

母性原理と父性原理

日本を代表する心理学者である河合隼雄氏の書籍、「母性社会日本の病理」の中に

母性原理と父性原理について記述されている。

それによると

母性原理の本質は「包み込み」だという

母親がわが子を包み込み、保護しながら育てていく

そこにはすべてのものに対する絶対的な平等性がある・

それは子供の能力や個性とは無関係である

一方で母性原理は子供の自立独立を許さない

それはで、子供の危険を守るためであり、母子一体の根本原理の破壊を許せないという面もある。

かくして、母性原理は、肯定的面においては、子供を生み育てることであり、

否定的な面では子供を飲み込み、しがみつき、死に至らしめる面もある。

一方、父性原理の本質は「切断する」ことだという。

すべてのものを切断し分割する、主体と客体、善と悪、上と下

父性は子供に対してその能力や個性に応じて類別する。

父性は「よい子だけがわが子」という規範によって子供を鍛えようとする。

かくして父性原理はこのように強いものを作り上げようとする建設的な面と、

一方では切断する力が強すぎて破壊に至る面という両面をもつ。

そのような定義づけのもと、河合隼雄は、

世界における現実の宗教、道徳、法律は、その根本において

母性原理と父性原理の両面の融合しながら、

どちらか一方が優勢があり、片方が抑圧されてた状態で存在しているという。

そして日本社会の傾向は母性的な面を優勢とする。

このことが、最近よく言われる草食系男子の増加と関係があるのだろうか?

上述のように社会がどちらかの原理に偏ることは、社会を不健全にする要因になると思う。

戦前の日本は、父性原理が強く働き、無謀な戦争に突入していったように、

現在の社会は母性原理が強く働き、平等主義と保護主義に偏り

気がついてみたらグローバルな経済競争に負け続けるとともに、

財政の健全化を軽視したばら撒き行政で借金大国になってしまった、

のもこのことと関係しているのかも知れない

ラグビーの世界で、

all for one for all(みんなが一人のために、一人がみんなのために)

という言葉がある。

みんながひとりのためにというのは、まさしく母性原理で、

ひとりがみんなのためにというは父性原理であり、

そのバランスが健全な人と社会の関係性だと思う。

今の社会現象と照らし合わせて考えると興味深い視点だと思う。

2011年5月30日 カテゴリー:未分類 | No Comments »

己の分際に合った戦い方

今回の岡田ジャパンカメルーン戦勝利は、感動とともに大きな気づきを教えてもらったように思う。
それについて、長文になるが書き綴ってみたい。

孫子の兵法に敵を知り己れを知れば百戦殆うからずという言葉がある。
昨日の岡田ジャパンは、まさしくこの孫子の言葉通り、相手をよく分析して、その強みを消し、そして己れの実力を弁え、決して身の丈のあわない戦法を取らず90分堪え忍んで、もぎ取った勝利だと思う。

曾て日本は、耐えることを怠り、ほんのちょっとした油断で勝利を失った苦い経験がある。(1993年ドーハの悲劇)

そして前回のドイツ大会初戦では先制点を奪いながら後半最後の10分で立て続けに三点取られて無惨に敗退した苦い経験をした。
特に前回は、日本史上最強の戦力のチームとして期待されていた。
ジーコ監督ののもと中盤はタレントぞろいで日本版黄金のカルテットと呼ばれもてはやされた。
そして予選突破どころか引分けさえできずに予選で散っていった。

何がまずかったと振り返ってみると、身の丈にあった戦い方になっていなかった点ではと思う。
当時のジーコジャパンは、選手の自主性、創造性をピッチで発揮させてチームを強化していったとのこと。
戦法的には細かくパスを回し中盤を支配することでゲームの主導権を握って行く。
課題は決定力不足だけということで、成果をそれなりに出していった。
そして少なくともアジアのトップの地位を勝ち得るようになった

そしてその勢いとその戦法が無惨に打ち砕かれたのが前回のオーストラリア戦だった。
しかしアジアで通用した戦い方がワールドカップでは通用しなかった。
振り返るに、当時のジャパンの実力は、日本史上では最強だったかも知れないが、ワールドカップ出場国のなかではやはり弱い部類だったのではと思う。
それがまるで力が対等のような戦い方(=自分たちの強みをだせば勝てる)で挑んでいった。
相手の戦力に対して身の丈にあった戦い方になっていなかったと感じる。

今回の状況は前回と正反対だ。
もともと前回に比べて粒が小さいと言われ、なんとかアジア予選は突破したものの、競合との強化試合では結果が出せない。
最近では、ライバルの韓国に惨敗し、監督が進退伺いまで出す始末。開催前は悲観論が漂い大方が予選敗退を予想していた。
正直私も当初の予想は、ジャパンは今回のW杯では予選三連敗となり、出直しかなとさえ思っていた。
それが(失礼だが)まさかの初戦勝利。しかも海外で一勝さえできていなかったのに、強豪カメルーン相手に堂々と、

感動しながら、この勝利について考えてみると、身の丈に合った戦い方に徹したことが勝因と感じる。
岡田ジャパンは最近の敗戦続きを反省し、これまでのスピーディに細かく攻める戦法と編成を改め、手堅く守備的な戦うスタイルに短期間で変えていった。
守り一辺倒ではないが決して深追いせず、攻めすぎず、そして相手の強みを徹底的に封じ込める地味な戦法に。
かなりのばくちだったのではないかと思う。
いかし、今のジャパンを冷静にみれば理にかなっているとも思う。この戦法は、今のジャパンがワールドクラスと戦うには、決して大勝はできないが、負ける可能性も低い戦い方だと思う。
しかし、向こう受けしない。事実こういう方向に舵をきろうとした監督は”迷走”と散々たたかれていた。
その、向こう受けしないが、身の丈にあった戦法を日本はこの大舞台で見事演じきったのだと思う。
勝ったことも感動したが、得点後に約50分以上の失点をしない渋いそして粘り強い戦い方は今までになく、それがとても感動した。

成果を出すためには決して格好よくないが、見た目的にもよくないが、実力にあった、身の丈にあった、もっと泥臭くいえば、分際にあった戦い方が大事だなって思った。

※今回はトゥーリオのオウンゴールがなくてほっとしました。

2010年6月15日 カテゴリー:未分類 | No Comments »

決して諦めない・・・粘るについて

職業柄、いろいろな雑誌などを見る機会が多い。
その中で、これまで定期購読してきたある月刊誌の購読を停止することにした。
内容に不満があったわけではないが、きちんと読む時間を取ることができなかったということで。
そこで、購読停止の連絡をしたところ、女性の係員が、購読停止理由を確認した上で、あまり押し付けがましくない程度に、停止を考え直すように促す。
こちらもやんわりと、改めて断ると素直に「それでは、又の機会にお願いします」とあっさり引き下がる。
そして、数日後、この会社から、社長名ではがきが届く。
更なるお願いという題名で、購読停止について、その雑誌の有益性を新めてアピールしつつ、購読停止を再度検討するように文面が毛筆手書き風の(コピーのようだが)はがきにびっしりと書いてあった。

これまで、いろいろな月刊誌をはじめ、なにかしら定期購入するような商材を購入してきた。
しかし、購入停止に際して、ここまで諦めずに対応してきた企業がなかった。

振り返って当社も、継続で契約して頂くサービスを提供している。そして、それなりに解約もある。
しかし、その解約に際してかなり、潔く、というか、あっさり諦めている。
企業にとって、定期収入が減ってことは大問題である。一方、そこになにかしらの粘りを発揮しているかというとそうでもない。
下手に引止めをして、相手の気分を害したら、など、守りに気持ちになりやすい。
結局、購読停止の気持ちは翻意に居たらなかったのだが、状況によっては「止めるの止めた」ということになったかも知れない。
妙なところに感心した雑誌の講読停止エピソードでした。

2010年6月7日 カテゴリー:未分類 | No Comments »

豊臣秀吉の最後の末裔の生き方

豊臣秀吉の最後の孫の生き方

豊臣秀吉の豊臣家が江戸時代初期に大阪の陣にて、その子孫が滅ぼされたのは周知のことだ。
秀吉の息子である秀頼には、息子と娘をおり息子の国松丸は京都六条河原で斬首に処せられたが、娘の目奈阿姫(なあひめ)は、出家することで命を助けられたような。
その後の生き方が興味深い。奈阿姫の出家先は鎌倉東慶寺、そう、あのさだまさしの歌にもでてくる縁切寺だ。出家して、天秀尼(てんしゅうに)と名を改めた。
天秀尼は、東慶寺で禅の修業を積むとともにその当時の、夫からの暴力などに苦しむ女性の救世にあたったそうな
江戸時代当時は、夫からの離縁は三行半(みくだりはん)と呼ばれる離縁状をたたきつければ成立した。
しかし、妻からは、夫からどんな理不尽なことをされても離縁は許されていなかったという。
そんな当時の女性の最後の砦が東慶寺であった。
当時の特例として、家庭不和などで家をでた女性も東慶寺で三年間修行を積めば、夫との離縁も許されたそうな。

天秀尼は東慶寺に入るにあたり、武威が社会の土台になっている武士社会、封建社会の中で女性や弱者を守る存在としての寺を維持していくことを自分の人生を注ぐことを決意したようだ。
その後東慶寺は、彼女の尽力により寺格を確立し、当時のDV救済寺としての地位を築いていく。

大名の殿様にさえ屈しなかったという逸話も残っている。
当時ある地方大名の殿様の横暴から逃げ出した家臣を妻女が東慶寺に駆け込み、その殿様からその妻女の引渡しを迫られた際に、身を挺して拒否したばかりか、寺法を侵害するそのお殿様を時の将軍家光に直訴したそうな。
そしてそのお殿様はその後改易の憂き目にあったそうな。

武家社会を武力で天下統一した秀頼の最後の末裔が江戸時代に尼となって弱者救済のために一生を捧げる生き方をしたという事実が歴史の片隅の残されていた。

注)(※秀天尼の義理の母は秀頼の妻千姫(※秀天尼の実母は秀頼側室の小石の方)、千姫は二代将軍秀忠の娘なので、秀天尼は、三代将軍家光にとって義理の姪ということになろうか)

2010年5月5日 カテゴリー:未分類 | No Comments »

目はふたつ耳もふたつ

神様は人間に(ほかの動物もそうかもしれないが)目を二つ、耳を二つ授けてくれた。
その理由について考えてみた。

物事には二つの側面がある。
表もあれば裏もあり、
陽があれば陰もあり、
本音があれば建前があり、
善意の部分あれば悪意の部分もある。
それが世の常、人の常。
その両面共が現実だと思う。

神様は、その現実をしっかり見るように、聞くようにと、人間に二つの目と二つの耳を授けてくれたのだと思う。
とりあえずひとつの目とひとつの耳でも見たり、聞いたりはできる。
当たり前のことだがそれでは躓いてしまう。

目と耳を、それぞれふたつともしっかり使っていれば、現実を間違えない。
現実を間違えなければつまづくことも避けられる。
目がふたつあり、耳が二つあるのだから、両方とも使って生きていかなければバチがあたる。
ゴールデンウィークに考えたこと

2010年5月5日 カテゴリー:未分類 | No Comments »

渡部晃也

SEOサービス、WEBマーケティング会社の社長日記

SEO対策やホームページ制作を行っているユア・ブレインの社長が日々の所感を情報発信


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