”みんな幸あれ!”の前提条件
当社は経営理念として”みんな幸あれ”を掲げている。
つまり経営の目的を、みんなの幸の追求に置いているということだ。
これはとても聞こえのよい理念だが、その実現を本気で追求していくと、さまざまな難しいことが起きてくる。
最近直面したこと。それはみんなが”みんな幸あれ”という価値観に合意していたとしても、どの山に登ろうとするかがバラバラだと”みんな幸あれ”が実現できなくなる、という現象……。
つまり、ベクトルがそろっても目標レベルがそろわないと、”みんな幸あれ”に”不”がついてしまう。
例えば、高尾山へハイキングに行くという幸を追求していくスタッフと、ヒマラヤ登山で幸を実現しようとするスタッフが同じ山行を組んだとしたらどうなるであろうか? おそらくどちらも不満をもって、バラバラになってしまうだろう。会社でも同様のことが生じてしまう。
能力の高いものは高いレベルの仕事を求めていきたがる。そして、会社がそのレベルに応じた舵取りをしていかないとしたら不満を生じる。
そこで高いレベルの目標を実現するためのマネジメントを行うと今度はついてこれないスタッフがでてきてしまう。
逆に、ついてこれないスタッフにマネジメントの焦点をあてると、組織がバラバラになる。
そのギャップを埋めていくことは困難と痛感している。組織行動を行うとき、その目標とレベルがある一定の範囲に収まらないとうまくいかないことを天が教えてくれている。
また、会社は、環境に適応していかなければ生きていくことができない。
仮に高尾山登頂で合意を得られたとしても、顧客や市場がそのレベルを受け入れてくれないと、我々はご飯を食べていくことができない。
そこで顧客・市場の受け入れてくれるレベル以上でかつ目標レベルとベクトルをあわせることが、”みんな幸あれ”を実現する前提条件であることを思い知らされている。
嵐の後に訪れる澄み切った青空を信じて、社内外の厳しい現実と向き合って突破していきたい。
2008年12月22日 カテゴリー:未分類 | No Comments »
目標に向ってPDCAを回す
日々、自社の経営に立ち向かっていると、「経営とは何か」?という素朴な問いに思いをめぐらすことがある。
その答えはいろいろあると思う。
私は、経営とは ”目標に向ってPDCAを回すこと”と定義することにした。
経営における最終目標は、経営理念に裏づけされた長期経営目標。
当社は、長期経営目標を「幸せ共創力世界一」と定めている。
その長期経営目標に向って、事業発展計画の中で、中期目標、年度目標へ落とし込んでいく。
それをさらに、月次目標、部門別目標に、そしてさらに、個人の目標、日次の目標へまで落とし込んでいく。
目標を立て自分の頭に意識に浸み込ませることができたら、PDCAをきちんと回すことが大事になる。
PDCAを回すとは、仕事をPlan(計画)→Do(実行)→ Check(チェック)→ Action(対策)の順番で回すこと。
言い換えれば、実行の前に計画あり、実行のあとにチェック・対策ありを習慣化していくこと。
その理屈は知っている人は多いが実践できる人は少ない。
経営者の役割は”一人でも多くのスタッフが、目標に向ってPDCAを回すことができる集団づくり”と思う。
そして、この”目標に向ってPDCAを回すこと”を愚直に継続することが、現実を理想(長期経営目標)に近づくもっとも確実な方法だと思う。
経営とは何かを自問自答して、考えたこと。
2008年9月21日 カテゴリー:未分類 | No Comments »
竹は節目があるからまっすぐ伸びる
竹はしなやかで強い。
その鍵は節目があるからだと思う。
節目があるからまっすぐ伸びる。
節目があるから強度が保たれ外圧にしなやかに対応できる。
企業も同じだと思う。
企業経営においての節目にあたるのは、年度、月度、そして毎日。
節目づくりとは、節目の前の期間を振り返り・反省し、節目の先の目標設定、計画づくりをしっかり行うことではないか。
年の節目で、しっかり年度計画をつくる。
月の節目で、しっかり月度計画をつくる。
一日の節目で、しっかり朝礼を行う。
しっかり行うとは、
数字と活動、原因と結果を照らし合わせること、
皆が節目を共有し自分の役割をコミットすること
が大事だと思う。
当社のこれまでの沿革を振り返ってみると節目づくりの良し悪しが成長を左右してきたように思える。
当面は、朝礼と月次経営会議をしっかり実行していきたい。
決算の節目にはしっかり年度経営計画をたてていきたい。
そして、しなやかにまっすぐ伸ばしていきたい。
2008年7月9日 カテゴリー:未分類 | No Comments »
ご冥福をお祈り申し上げます

当社は千代田区内の所在している。
その地元である千代田区内でとんでもない事件が起きた。
秋葉原通り魔殺人事件である。7人もの罪のない人たちがたった2分の間に無差別に殺されてしまった。
国内の通り魔事件では最悪の惨事とのことである。
被害にあった方はさぞかし無念であったと思う。
またご遺族や関係者の方のやり場のない悲しみや怒りも心中察するに余りあると思う。
同じ区内で事業を営むものとして、せめて何か供養できないかと現地へ献花しに行ってきた。
人は人へ殺意をもつと簡単に殺人を犯すことができることを今回の事件は教えていると思う。
献花台の前で手を合わせながら
“人が人をどんなに憎んだとしても、
または世の中へどんな否定的な感情を抱いたとしても、
人へ殺意をもつことだけは何か防ぐ方法はないだろうか?”
という思いを巡らせてしまう。
稚拙な考えであると思いつつ・・・。
被害者のご冥福を心からお祈り申し上げます。
2008年6月16日 カテゴリー:未分類 | No Comments »
座禅の効用
座禅の効用
先日都内のある座禅会に参禅した。
座禅とは、座った姿勢で、自分の無の境地になるように精神を統一していく試みだそうだ。
此処で教わったのは、呼吸に意識を集中することによって、精神を”今”に集中させていき、余念をなくしていくことを座った状態で延々を行っていく。
そのことによって、自分が呼吸そのものになりきり、無我に境地に次第に近づいていくようです。
禅師から座禅の意義効用に関わる講話を聴いた。
なぜ座禅をするのか?
人には知覚する機能と考える機能がある。
そして無意識でいるとと、目の前に知覚していることに意識を集中させず、思考が先走りし、別のことを考えていく、そういう習性をもっている。、
そのことにより、知と意がバラバラになっていく。
そしてこの状態が様々な囚われや思い込みになりやがて様々な煩悩や悩みを生んでいく。
目の前のことを集中せず、過去や未来のことを考えていると目の前のことがおろそかになり、それが人間の心の苦しみを生む元になる。
だから、今、目の前のことに意識を集中し、精神の統一を図る修行法を仏教では禅定といい、座禅とは、座った姿勢で自分の呼吸に意識を集中させていく禅定の方法だそうな。
実際やってみて座禅の効果は2つあるように思った。
ひとつは悩みを低減すること。
悩みをもった状態とは、今の目の前にことに意識が集中できず、その悩みあごとに囚われている状態とも言える
今此処に集中する訓練を積むことにより、囚われや思い込みが少なくなり、悩みも低減するとではと思った。
もうひとつの効果は集中力を高めること。
よくあるのだが、目の前の物事が自分にとって勝手に軽いことや意味の少ないことと感じたとき、別のことを考えたり、することがしばしばある。こういうことが多いとそれが習慣性になり、物事への集中力を欠く、または気持ちの切り替えが下手ということにつながっていく。集中力を高めるという意味で、訓練していく必要性を感じた。
今後も月に一度程度通ってみようと思っています。
座禅に「前後裁断」という言葉がある。
「前後裁断」とは、江戸時代、沢庵禅師が過去も未来も裁ち切り、今に集中することだそうだ。今、此処に集中しすることが無限の可能性が広がるかもしれない。
2008年5月20日 カテゴリー:未分類 | No Comments »
イチローに学ぶ
NHK仕事の流儀プロフェッショナル「イチロースペシャル」をみた。
この番組では出演者が最後に「プロフェッショナルとは?」について自分なりの定義を語る。
イチローは
「プロフェッショナルとは、ファンを圧倒し、選手を圧倒し圧倒的な結果を残す」
と言い切った。
圧倒的な成果を出すことがプロであり、そのための自分をトコトン追い込んでいる姿が描かれていた。
あのイチローも重圧に追い込まれて、苦しむという。
年間200本を7年連続続けているにも関わらず、毎年170本を越えるころから、心や体調に変調をきたすという。時には食事のときに呼吸困難になることさえあるという。
イチローは、ファンに対して
「自分の生活を一部をささげて見に来てくれる人たちで、その人たちを裏切ることなんてできるはずがない」と言い切る。
番組では結果を出すために、行動をとことんこだわるすざましい姿が描かれていた。
イチローは、毎日自分流儀の行動様式で自分を徹底的に律する。
昼食は7年間奥さん手作りのカレーライスしか食べていないそうだ。
他の選手の道具は一切触らないようだ。それはその感触が自分に手に残るからだそうだ。
イチローにとって道具は自分の体の一部だそうだ。
2007年は、近年まれにみるハイレベルな首位打者争いになった。
ライバルと3割5分以上の戦いになったが、結果的に首位打者を逃す。
それが決定的になった打席のあと守備についたときに悔しそうに涙を浮かべている姿が映し出される。
イチロー曰く、
「いままで自分との戦いに勝つということを意識してきた。
それが、他人との戦いを挑める段階にようやくきた。
だから勝ちたかったのです」という。
そして、涙の理由を聞かれて
「わからない。永遠にわからない」と答える。
イチローにはまだ達成感がまったくないという。
しかし、今までの過程で大きな満足をしてきたという。
「目標は?」と聞かれて、本気か冗談か「50歳で4割打って引退」と答えていた。
テレビとはいえ超一流の形骸に触れ、身震いがする思いがした。
感動と反省を感じた2時間でした。
2008年2月17日 カテゴリー:未分類 | No Comments »
知りたいを伸ばすと学力が向上する
ある人の勧めでNHKプロフェッショナル仕事の流儀「堀川高校」をみた。
堀川高校は数年前までは進学面では特段際立った実績のないごく普通の公立高校だったそうだ。
それが、この数年で急激に実績をあげ現在京都一の進学校として、特に京都大学への現役合格率が全国一という実績をつくり一躍有名になったそうだ。
中高一環でもなく普通の公立高校が短期間で脅威的に実績を伸ばしたことから”堀川の奇跡”と呼ばれているらしい。
受験実績を急激に伸ばしたというと、あまりいい印象をもたない人もいるかも知れない。
何か、即効性のある受験手法を訓練し、確かに受験には効果あるかも知れないが、テクニックに溺れる人材教育につながらないかとか、
特訓を厳しく行う先生が、生徒を厳しくゴリゴリ指導していくとか、
そういうイメージがある。
堀川高校の改革はそのいずれでもない。
番組で描かれている生徒の表情は決して、受験オタクの暗さや悲壮感はなく、さりとて肩に力の入ったイケイケもない。
明るくて、生き生きとしている。それも自然体に感じた。
堀川の奇跡といわれた改革のポイントは一言でいえば、生徒の持つ”知りたい”という人間として根源的な意欲を学ぶ意欲に結びつけ、あらに学力を向上させているということのようだ。
その学習意欲を掻き立てる仕組みのひとつに、探求基礎科という授業がある。
これは大学のゼミのように生徒がテーマを決め、そのテーマにそって調査や研究をし成果を発表するというものだとのこと。番組では”三秒ルールの信憑性”などユニークなテーマの数々が紹介されていた。
生徒は、自分が興味のあるテーマで探求していく、その過程を通じて、基礎知識や基礎学力の重要性を感じ、学習の意義や学習の面白さを体感していく。それが学習意欲を向上させ、しいては学力を向上させていくというサイクルと作り出しているらしい。
とても自然の流れで子供の学習能力を向上させているのである。
こういうことでこの受験競争を勝ち抜くことができるのか?とも思うが、
公立高校が実現していることにすごさを感じた。
私は経営者なので物事を企業経営に置き換えて考える職業習性があるが、この事例はとても参考になった。
生徒は、”知りたい”という根源的な欲求がある。堀川高校の荒瀬校長はその点に着目して学校改革を実現した。
企業において働く人は”自分の能力を発揮したい、その能力をもっと伸ばしたい”という根源的な欲求をもともと持っていると思う。
そこに焦点を当てたマネジメントとはどういう方法だろうか・・・という思いがめぐった。
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2008年2月1日 カテゴリー:未分類 | No Comments »
授業参観に参加して
最近の子供はどうなんだろうか?
不安な気持ちで日本の子供や教育を憂いている人も少なからずいるかと思う。
本日会社を一時抜けて下の娘(小学六年生)の授業参観へ出かけてきた。国語の授業で、内容は作文発表だった。
テーマはそれぞれだったが、何人かの子供が、自分の将来の職業的な夢について語っていた。その内容を聞いてみると意外な感じがした。
その職業に惹かれた動機と展望がが社会的なものが多いのである。
ある子は幼稚園の先生になりたいという。そのきっかけは自分の担任の先生が自分を含めた小さな子供のとても優しかったからという。そして、自分も小さい子供が好きで、その子供たちにやさしくしてあげて、
やさしい子供たちが増える世の中にしたいという。
別の子は、社長になりたいという。そのきっかけの子供の委員会活動を通じて、人の上に立つ人が思ったり大変な立場だが、みんなの上にたつことによってみんなに役立つようしていけばみんなが喜んでくれることを体感したことだという。そして社会にでて、社長として社員にもお客さんにも喜んでもらう仕事をしたいという。さらに偽装事件のような不正なことをしないことを誓いたいという。
さらに別な子は、将来ボランティア活動をしていきたいという。きっかけは地域で、環境問題に取り組んだことだという。そして、みんなで力を合わせれば地域社会がよくなっていくことを体験したことを生かしたいという。
今の子供実はこんなに社会性を身につけている子供が大勢いるのか?
と驚いた。
私が小学校六年生の時には、そこまで、自分の将来の職業について明確でかつ社会的な動機をもっている子供は少なかったと思う。
特に男子は立身出世的な願望が多かったと思う。
子供の教育現場については否定的な情報が多く流れており、私のように普段接していない人間はそういう情報で偏ったものの見方をしてしまいがちだが、反省させられた。
今の子供たち、そして教育現場、少なくても本日みた姿は捨てたものではないと思った。
うちの子の発表はそういう次元のものではなかったが、大きな声で元気に発表している姿を見るだけでうれしくなった。(親バカ丸出しだが)
2008年1月30日 カテゴリー:未分類 | No Comments »
思いは本当に実現するのか?
正月に考えたこと。
俗に「思いは実現する」と言う言葉がある。
この言葉は、本当にそうなのだろうか?ということと考えてみた。
人間の思いはとてつもないほど大きな創造力を秘めていると言われている。
だから、いわゆる成功哲学の分野では、どれでも”思いは実現する”ということが言われている。
果たしてそうだろうか?
たとえば、初詣に出かけて願を掛ける。
掛けた願が必ず実現するということはあまり聞いたことがない。
むしろ、実現しないことのほうがはるかに多い
それでは「思いが実現する」というのは迷信なんだろうか?
思いには2種類あると思う。
一つは、”願い”である。
願いとは、「〜になりたい」「〜したい」である。
願いは、通常他力本願である。
もうひとつの思いは意志である。
意志とは〜になるぞ、〜する。
願いは、通常、自力本願である。
「思いは実現する」という意味はどういうことなのだろうか?
思いが願いだけの場合、たとえば「〜になりたい」とだけ思っている場合、これは潜在意識として、「現実的には〜になることはむずかしいもんね。」という自分の願いを否定する意志が伴っていることが多いと思う。すると願と意志が相殺されて、思いは実現しないという結果になるのではないだろうか?
逆に願いと意志が一体になっている場合。つまり「〜になりたい」という願いと「〜になるぞ」という意志が一体となった思いの場合、人間は自分に潜在能力が働きだし、最大限の能力が発揮されるとともに、願いと意志が一体となった思いが天にも通じ、ツキを呼ぶ。
そういうことで、思いは実現するのではなかろうか?
従って「思いが実現する」の本当の意味は。思い=願い+意志の場合、そしてその思いを強く頂き続けた場合、その思いは実現しますよ。という意味ではないだろうか?
改めて、「思いが実現する」という言葉を自分なりに解釈し、「新年の思い」を実現するという決意をした。
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2008年1月16日 カテゴリー:未分類 | No Comments »
お迎えに備える心構え
今朝いつものように出勤すると当社の入居している雑居ビルの前に、パトカーと救急車が止まっている。隣のビルの脇にロープが張られ、警察官が現場検証をおこなっている。
そして、救急隊員が倒れている男性の心臓マッサージを行っている。
やがて、白目をむき、生きている気配がない男性はそのまま救急車に運ばれていった。
私は立ち止まり、というか足がすくみ、その人の回復をお祈りしながら、もう一方では人の死について考えざるを得なかった。
人は誰でもお迎えにくる。どんな形で来るか、そして何時来るかはコントロールできない。
私は長寿を目標にしているが、それも神様の思し召しで決まることと思う。
ならば、何時お迎えが来ても悔いなき生き方をしたい。
現場で合掌したあとそういう心境になった。
今朝、神様がそういうことを教えてくれたように気がする。
2007年9月19日 カテゴリー:未分類 | No Comments »