見えないものを感じ取れる感性を磨く

日ごろ、経営や実務の世界にどっぷりつかっている自分も、なぜか少しは芸術の世界に触れたいと思うようになった。そういうことで、NHKの新日曜美術館という番組を愛聴するようになった。
http://www.nhk.or.jp/nichibi/index.html
今日の番組では”靉光(あいみつ)”という戦時中の画家の絵が紹介されていた。
シリーズ画家と戦争(2)靉光(あいみつ)  時代の自画像
http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2007/0722/index.html
代表作 目のある風景
http://hamoblo.com/kinren/index.php?type=1&entryId=910
元来、自分は、写実的な絵なら少しは理解できるが、抽象的な絵はまったくダメであった。
しかし、これは自分の心の感性を現れかも知れないと思うようになった。
「芸術作品も写実的なものなら理解できるが、抽象的なものを分からない」ということは
写実的、つまり、形のあるもの、数字で表せるもの、世間一般的に評価されているものなら、理解できるが、目に見えないもの、世間の常識に囚われない真実、善、美に触れるもの、を感じる力が弱い、ということかも知れない。と思うようになった。
新日曜美術館で紹介される芸術家たちは、見えるものでなく、感じるものに対して、すさまじいほどの情熱をもって向き合い、命を削るような生き方をしながら作品を作りあげていく。それが後世、芸術品と呼ばれるような作品として評価されていく。
そういう作品でありながら、鈍感な私は見るだけではそのメッセージをまだ敏感に感じることができない。解説が加わることによってようやく少しは理解できるようになった。
しかしそれでも少しは自分の鈍感な感性も少しは磨かれたかも知れない。
芸術は不得手でも、感性を磨きたい人にはおススメです。

2007年7月22日 カテゴリー:未分類 | No Comments »

いいアイデアをたくさん出すには

“創造性の発揮”するにはどうしたらよいか?
そのことについて、昨日いいヒントをもらったので紹介したい。
当社では、NHKの教養番組を題材に、研修会を実施している。
昨日の事例は、プロフェショナル仕事の流儀、「MIT教授 石井裕氏」であった。
石井氏は、コンピュータ技術開発における世界的な第一人者であるとともに、MIT(マサチューセッツ工科大学)の教授として、若い知的エリートの教育者でもある。
でてくるアイデア、技術は世界で通用するオリジナリティを要求される過酷な世界である。
http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/070208/index.html
そういった、企画、研究開発の現場のドキュメントをみて、私がもっとも印象に残ったのはMITの研究員という、知の世界で最高峰の人たちも、最初からA級にアイデアをだせるのではないということ。
彼らでさえを、B級、C級のアイデアからスタートする。、そのアイデアに鋭い質問を投げかけ、議論し、熟成し、ということを絶え間なく繰り返して、そういうプロセスを得て、オリジナルといわれるアイデアに到達するということが描かれていた。
一般に、アイデアの世界は、ニュートンがりんごが木から落下するのをみて万有引力の法則を発見したように、天才のひらめきによって生まれるというイメージがある。
しかし、実は、アイデア、創造性も絶え間ないアイデアの発信と、そのアイデアを複数の人がキャッチボールをしていくことになって磨かれて、純度が向上していくというものかも知れない。
石井教授でさえ、自分を凡人だから人の二倍努力するといっていった。
いいアイデアを出す、いい企画を出す、いいビジネスプランをだす、ということは、ひらめきなどからでた、原石に近い、まだとても純度の低いアイデアを、磨いていくことだということに気がついた。
堺屋太一氏によるは今は知価社会、知価経済の時代だという。
そういうトレンドの中で斬新のアイデア、企画はいっそう求められる時代になったことは自覚しているつもりだった。しかしどのように対応していくべきか、については不明瞭な点が多々あった。(今もあるが・・・)
昨日の題材から、アイデアの世界も、実は天才的なひらめきに頼らなくても地道な知的作業の積み重ねで、高い品質の知的クリエイティブを生産できるという示唆を頂戴したと思った。

2007年7月21日 カテゴリー:未分類 | No Comments »

柔道でパフォーマンスはなぜ否なのか ?〜山下泰裕氏から学ぶ「道」の意味

先日、ある雑誌に柔道の山下泰裕氏の記事がでておりふと目に止まった。
タイトルは「目に見えない本質を探る」とある。
読んでみてはっと思う点があった。
山下氏が米国の産業人に
「アメリカで柔道の人気を高めるにはどうしたらよいか」
と尋ねたときの話である。
その産業人は、「選手は、もっと感情を豊かに表現すべきだ。勝ったらガッツポースを見せる。審判の判定に納得できなかれば抗議をする。」との提案をしたとのこと。
山下氏はその提案には感謝しつつ、柔道の本質に反するということから、「採用否」の判断を下したとのこと。
その柔道の本質とは、山下氏曰く
「柔道では戦う相手は敵ではないと教えます。戦う相手がいるから己が磨かれる。だから戦う相手には感謝と敬意を持たなければならない。それが「礼」の心です。さらに柔道は道であり、道とは柔道を通じて培った心技体を日常生活に活かすことです。つまり、鍛えた心身を人生に活かすことが柔道の目的です。」
山下氏によると柔道でもっとも大事なのは、強くなることではなく、人間として心を鍛えて人生に活かしていくことだという。
そういった価値観を上位概念において自己を律していくことが「道」だという。
日本には道と呼ばれる文化が多数存在する。武道の分野だけでなく、芸術文化の世界でも。
もしかしたら、どんな分野にも「道」はあるのかも知れない。
道という観点で世の中を眺めてみると、「道」から外れたことが目に付く。
そして、「道」と幸不幸は因果関係があるように思えてきた。
「道」をはずせば、不幸になり、「道」を愚直に踏襲すれば、幸せになる。
「道」というのはそういうものかも知れない。
山下氏の記事から「道」という言葉に立ち止まってみました。

2007年7月6日 カテゴリー:未分類 | No Comments »

渡部晃也

皆幸あれ!生涯青春日記 SEOサービス、WEBマーケティング会社の社長日記

SEO対策やホームページ制作を行っているユア・ブレインの社長が日々の所感を情報発信


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