お迎えに備える心構え
今朝いつものように出勤すると当社の入居している雑居ビルの前に、パトカーと救急車が止まっている。隣のビルの脇にロープが張られ、警察官が現場検証をおこなっている。
そして、救急隊員が倒れている男性の心臓マッサージを行っている。
やがて、白目をむき、生きている気配がない男性はそのまま救急車に運ばれていった。
私は立ち止まり、というか足がすくみ、その人の回復をお祈りしながら、もう一方では人の死について考えざるを得なかった。
人は誰でもお迎えにくる。どんな形で来るか、そして何時来るかはコントロールできない。
私は長寿を目標にしているが、それも神様の思し召しで決まることと思う。
ならば、何時お迎えが来ても悔いなき生き方をしたい。
現場で合掌したあとそういう心境になった。
今朝、神様がそういうことを教えてくれたように気がする。
2007年9月19日 カテゴリー:未分類 | No Comments »
生涯青春の条件
私は学生時代、登山に明け暮れていた。
現在の仕事も経営も、登山をしているような感覚でいる。
そういう意識があるので、人一倍若いつもりでいる。
60才を過ぎて一段落ついたら、ヒマラヤにトレッキングに行きたいとひそかに思っている。一応、生涯青春を自負しているつもりである。
しかし、世の中上には上がいる。
日本画家の堀文子さんをテレビ番組で拝見してそう思った。
70歳を過ぎて見ず知らずのイタリアに単身移住する。
77歳になって南米アマゾン、アンデスに一人旅をする。
82歳になってなんとヒマラヤ5000メートルの高地に行く。
4000メートル以上にしか生息しないといわれる高山植物、ブルーポピーを見るためだという。
その絵が「孤絶の花 プルーポピー」(2007)である。
http://www.g-call.com/about_point/cp/hori/02.php
“きれい”というより極限の環境で生きる生命の近寄りがたさを感じさせる。
そういうものに80歳を過ぎても向かっている生涯青春の心根に感服した。
「なぜ旅をするか?」の質問に彼女答えて曰く、
「同じところにいると馴れ馴れしくなるから、嫌になって脱走するわけ」。
日々、いのち新たに 〜日本画家・堀文子 89歳の鮮烈〜|新日曜美術館
http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2007/0916/index.html
「同じところに安住せず、求めるところを求めて彷徨う」ことは生涯青春のひとつの条件かも知れないと思った。
2007年9月18日 カテゴリー:未分類 | No Comments »
挫折は心の成長剤
新聞に昨今の首相辞任劇に関して「負けの体験トップに不可欠」という見出しの記事に目が留まった。中味はトップにふさわしい器を身につけるには真剣勝負で負けを体験した人こそがふさわしいと記述されていた。
一理あると思う。
リーダーは2つの能力が不可欠だと思う。
ひとつは未来を描き、皆を引っ張っていく能力。
もうひとつは、苦難に出会ってもびくともしない強靭な精神力。
強靭な精神力を持つためには、それなりの訓練または体験が必要だと思う。
誰しも失敗したり、負けたりしたくない。
特に自分の命を懸けるほど真剣に取り組んでいたことで、負けたり、失敗したりすることほど悔しいことはない。
悔しくて涙がこぼれ、自分の身をなくしてしまいたいほど悲観する。
取り組んでいたことの真剣度が高いほどそういう気持ちになる。
しかしそういう体験ほど自分の心を強くすることはないと思う。
挫折は心の成長剤かも知れない。
2007年9月18日 カテゴリー:未分類 | No Comments »
現実と向き合う
今朝、朝礼で”現実に向き合う”ということを話した。
現実と向き合うとはどういうことだろうか?
言い換えれば”自分の都合の良い思い込みに陥らず”という意味かも知れない
人間は私も含めて、自分の都合のよい思い込みで生きる動物だと思う。
そして、その錯覚をもっている限り、現実と向き合うことはできない。
現実に向き合わない限り、夢や理想は、単なる寝言で終わると思う。
現実に向き合うとは自分を錯覚を拭い去るともいえる。
現実に向き合うにはどうしたらいいか、考えてみた。
現実に向き合うポイントは3つあると思えた。
ひとつは、現場・現物と向き合う
人は、人からの話だどで分かったつもりになることがよくある。
そういうことを重ねていると物事の認識がずれていく。
人からの見聞だけから分かったつもりになるのではなく、実際の現場、現物を触れることが現実と向き合う。
二つ目は 数値と向き合う
数値は、ある側面を表したものに過ぎないがが、そこには主観性はない。
数値化できるものはできるだけ数値化し、その数値と向き合うこと。
三つ目は、本音と向き合う
人は、自己防衛本能や、思いやり、社交術などで建前と本音を使い分ける。
建前で、コミュニケーションしている限り、どうしても人の気持ちに対して錯覚が生じる。
そうある限り、人の本音という現実に向き合うことができないと思う。
まずは自分の本音に向き合う。
そして人と誠実に接していく。
そう考えをまとめながら現実に向き合い切れていない自分がいる。
まずは、脚下照顧。
2007年9月6日 カテゴリー:未分類 | No Comments »